2013年1月1日火曜日

靖國神社

【ご祭神】
護国の英霊 246万6千余柱
 
 
【訪問メモ】
元日の夜1時に訪問。2013年初のご朱印巡り。
 
 
【豆知識】
靖國神社は1869年(明治2年)に東京招魂社として創祀され、後に靖國神社と改称された。
 
戊辰戦争・明治維新以来の「官軍」の戦死者が祀られている。
なお、単立宗教法人であるため、神社本庁との包括関係には属していない。
 
大鳥居をくぐって参道を進んでいくと、まず現れるのが大村益次郎像。
東京招魂社の創始者である。


この像は、大村益次郎が戊辰戦争で司令官として彰義隊が立て籠る上野寛永寺を
見つめていた姿を模したもの。
因みに、今も上野の方角を見据えるように立っている。
 
 
國神社は戦後、GHQにより焼き払らわれる計画が立てられていたが、
ローマ教皇庁代表であり上智大学学長でもあったビッテル神父の進言により
焼き払いを逃れたという。
 
「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。
それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」
 
「靖國神社を焼却する事は、連合国軍の占領政策と相容れない犯罪行為である」
 
「靖國神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、
排すべきは国家神道という制度であり、靖国神社ではない。
我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教・ユダヤ教など、
いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、
すべて靖國神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである。」
 
 

 
靖國神社の本殿には、前述した通り、戊辰戦争・明治維新以来の官軍の戦死者が祀られているが、
摂社である鎮霊社では、ペリー来航(1853年)以来の、本殿に祀られていない日本人戦没者(民間人や、戊辰戦争の旧幕府軍や西南戦争の西郷隆盛方戦没者などの「朝敵」)と世界中の戦没者が祀られている。
 
訪問時は、夜間のため、鎮霊社は参拝できなかった。
 
 
国内、近隣諸国にて、とかく「靖國」は問題視されるが、
個人的には、靖國神社「自身」は戦前の在り方を十分反省し、
戦没者を慰霊し、世界の平和を祈る宗教施設となっている、なろうとしていると思うのだが、
いかがだろうか?
 
 
靖國神社の歴史については、高田崇史の著書「QED ventus 御霊将門」に詳しく記されている。
 



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