2013年10月10日木曜日

熊野神社



【ご祭神】
櫛御気野神
伊邪那美神



【豆知識】
中野長者と呼ばれた室町時代の紀州出身の商人・鈴木九郎によって応永年間(1394年 - 1428年)に創建。
鈴木九郎は代々熊野神社の神官を務めた鈴木氏の末裔で、現在の中野坂上から西新宿一帯の開拓や馬の売買などで財を成し、人々から「中野長者」と呼ばれていた。
鈴木九郎は当初自身のふるさとである熊野三山の若一王子を祀ったところ、商売が成功し家運が上昇したので後に熊野三山から十二所権現をすべて祀るようになったのが始まりとされている。

神社境内には大きな滝があり、また隣接して十二社池と呼ばれていた大小ふたつの池があり、江戸時代には付近は江戸近郊の景勝地として知られていた。

その後、神社の滝や十二社池は淀橋浄水場の造成等により姿を消す。現在は、淀橋浄水場も廃止され、高層ビル街になっているが、熊野神社の一部は新宿中央公園として、新宿で働くサラリーマンのオアシスとなっている。


鎧神社

 
【ご祭神】
日本武命
大己貴命
少彦名命
平将門公
 
 
 
【豆知識】
鎧神社ホームページによると、創建は醍醐天皇の時代(898~929)。
理源大師の徒弟である 筑波の貞崇僧都、行基作と伝えられる薬師如来像がこの地に祀られ、円照寺が創建。 その際、寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられてる。
創建以前から、日本武命東国平定のとき、この地に甲冑六具を蔵めたという伝説もあり。
 
また、
 
・天慶三年(940)、関東に威をとなえていた平将門公が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947)、将門公の鎧を埋めたという説
 
・将門公を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門公の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門公の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気がたちまち治ったという説
 
があり、鎧を埋めたのは、将門側の人間なのか、秀郷側なのか、正直よくわからない。
 
 
 
【訪問メモ】
大久保駅を降り、中央線の線路沿いに閑静な住宅街を進むと、鎧神社が現れる。
 
摂社の天神社の狛犬は全国的にも珍しい狛犬型庚申塔で、新宿区指定有形民俗文化財に指定されている。