2012年8月19日日曜日

江島神社

 
【ご祭神】
多紀理比賣命
市寸島比賣命
田寸津比賣命
(宗像三女神)
 
 
【豆知識】
欽明天皇13年(552年)、欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。
寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により多くの仏教施設や仏像などが破壊され、明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称。

 
 
【訪問メモ】
江島神社には「江島神社」と「弁財天」の2種類のご朱印があるので、両方いただくのが良いだろう。
 
当初の予定では奥津宮まで参拝する予定だったが、猛暑で熱中症になりそうだったため、今回は辺津宮だけを参拝して終了とした。
 
 




 
 

御霊神社

 
 
【ご祭神】
鎌倉権五郎景政
 
 
【豆知識】
現在の祭神は鎌倉権五郎景政の一柱のみだが、
元は関東平氏五家である鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の
5氏の霊を祀った神社であったとされ、
五霊から転じて御霊神社と通称されるようになった。
 
鎌倉景政は、その武勇をもって知られ、
16歳の時、源義家の陣営に連なって後三年の役(1083年-1087年)に
従軍して活躍した際のエピソードがよく知られている。
 
『奥州後三年記』の伝えるところによれば、
景政は左目を敵に射られながらも屈することなく、射手を倒し帰還した。
左目に突き刺さった矢を抜こうと、一人の武士が景政の顔に足をかけたところ、
景政はその非礼を叱責したと言う。
 
この伝承から、この神社の神徳は
・志の成就
・眼病平癒
である。
 
吾妻鏡にも登場する名刹。9月に行われる面掛行列が有名。
 
 
【訪問メモ】
長谷駅の改札を出て、極楽寺方面へ線路沿いの道を歩くと、
江ノ電の踏切の向こう側に御霊神社がある。
 
まるで映画の舞台に入り込んだような風景である。
 
 



佐助稲荷神社

 
 
【ご祭神】
宇加御魂命(うかのみたまのみこと)
大己貴命( おおなむちのみこと)
佐田彦命(さるたひこのみこと)
大宮女命(おおみやのひめのみこと)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
 
 
【豆知識】
源頼朝がまだ伊豆蛭ヶ小島に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。
 
のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、社を建立させた。

「佐助」という名は、佐殿(すけどの)=頼朝を助けたという意味である。
 
 
【訪問メモ】
この社は銭洗弁天とセットで回るのが良いだろう。
銭洗弁天の境内を奥に進み、山道と住宅地を抜けたところに、佐助稲荷神社がある。
 
緑が深い急な坂道に、朱塗りの鳥居が連なる光景が印象的。
 
 
 


 

銭洗弁財天宇賀福神社

 
【ご祭神】
市杵島姫命
 

【訪問メモ】
鎌倉の自社を巡るには、鎌倉駅前でレンタサイクルを借りるのが良いと思うが、源氏山付近を回る予定があるのなら、ケチらずにギア付きや電動機付きの自転車を借りることを奨める。
ギア無しでは鎌倉の山はしんどい。
 
銭洗弁天へは鎌倉駅西口を西へ進み、山路を登って行く。
鳥居のある隧道を通ると、ようやく銭洗弁財天宇賀福神社の境内である。
 
この日は猛暑にも関わらず、参拝客が途絶えることなく、銭洗いをしていた。

 
 
【豆知識】
源頼朝に、巳年の1185年(文治 1)、巳の月、巳の日の夜、
 
「この福水で神仏を供養すれば天下泰平に治まる」
 
という夢のお告げがあり、創建されたと伝えられる。
 
 
 


鎌倉宮

 
 
【ご祭神】
護良親王(もりながしんのう)
 
 
【豆知識】
祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、
父とともに鎌倉幕府を倒し、建武の新政を実現したが、
父天皇と不和となり、皇位簒奪を企てた疑いにより捕縛捕えられ、東光寺に幽閉。
 
その後、旧鎌倉幕府軍の反乱が起こり、鎌倉を支えきれないと判断した新政府は
鎌倉から落ち延びる際に、護良親王が旧鎌倉幕府軍の旗印になることを恐れ、殺害した。
 
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、護良親王を祀る神社を、東光寺跡の現在地に造営。
 
現在も、護良親王が幽閉されていた牢が残っている。


 
 
【訪問メモ】
鎌倉宮の宝物殿や護良親王が幽閉されていた土牢を拝観するには、300円の拝観料が必要。
拝観料の価値は十分ある。
 
護良親王の土牢の前に平和を祈る木札がたくさん並んでいたのが印象的。
 
 



 
 

鶴岡八幡宮

 
 
【ご祭神】
応神天皇
比売神
神功皇后

 
 
【豆知識】
相模国一の宮。
 
康平6年(1063年)8月に、河内源氏2代目の源頼義が、前九年の役での戦勝を祈願した京都の石清水八幡宮を鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが始まり。
 
治承4年(1180年)10月、平家打倒の兵を挙げ鎌倉に入った源頼朝が現在地の小林郷北山に遷す。以後社殿を中心にして、幕府の中枢となった。
 
 
【訪問メモ】
源実朝暗殺の際に、公暁が隠れていたと言われる大銀杏は、平成22年に強風のため倒壊。
現在は、大銀杏の根本部分が、元々立っていた場所の隣へ移植されていた。
 

 
 

2012年8月17日金曜日

波上宮

 
 
【ご祭神】
伊弉冊尊 (いざなみのみこと)
速玉男尊 (はやたまをのみこと)
事解男尊 (ことさかをのみこと)
 
 
【訪問メモ】
沖縄総鎮守。
全国一の宮会に琉球国新一の宮に認定されている。
 


 
 
沖縄らしく神社の屋根は赤瓦、狛犬はシーサー風である。
 
社殿は崖の上に建つ。
海上からこの崖を見上げたら、ここには神がいると思っても不思議ではない。