2013年8月31日土曜日

久須志神社


【ご祭神】
大名牟遅命
少彦名命
 
 
【訪問メモ】
おそらく御朱印をいただくのが困難な神社の一つ。
富士山頂に鎮座し、開山期間は7月中旬〜8月末までである。
 
朱印が赤黒いのは、朱に溶岩を砕いた粉を朱肉に混ぜているためである。
 
登山は、前日午後に吉田口登山口を出発し、山小屋に一泊、夜明け前に登頂を再開する行程とした。
今回は運良く、山頂で御来光を見ることができた。
 
 

 
当初の予定では、お鉢巡りを行い、浅間大社奥宮の御朱印もいただくつもりであったが、
風速20m/sの強風のため断念。
いつかまた、富士登山をすることになりそうである。
 
 
【豆知識】
久須志神社は浅間大社の末社である。
元々は薬師堂と呼ばれていたが、明治の廃仏毀釈にて久須志神社と改名され、
あわせて、ご祭神も医療神である大名牟遅命と少彦名命が祀られた。
 
大己貴命は少彦名命と力を合わせ心を一つにして天下を営んだ。
この世の人々や家畜のために、病を癒す方法を定め、鳥獣や昆虫の害を払うための呪いを定められた。
これによって、人々は今に至るまで、ことごとくその恩恵を受けている。
<日本書紀より>
 

2013年8月30日金曜日

小御岳神社

 
【ご祭神】
磐長姫命
 
 
【訪問メモ】
富士スバルラインの終点、富士山吉田口登山道の出発地に鎮座。
境内はこれから富士登山をする参拝客で溢れていた。
 

 
 
御朱印帳に御朱印をいただくと、朱印や墨が他のページを汚さないように半紙を挟んでくれるが、小御岳神社の半紙が洒落ている。
 
 
 
【豆知識】
創建は937(承平7)年。
往古は石尊大権現と呼ばれたらしいが、明治初年、神仏分離令の施行に伴い小御岳神社と称した。
ご祭神は、大山祗命の長女で、木花咲耶姫の姉である磐長姫命。
 
磐長姫命と木花咲耶姫の逸話はこちらを参照。
 

2013年8月21日水曜日

穴守稲荷神社


【ご祭神】
豊受姫命
 
 
【訪問メモ】
羽田空港に行く途中で訪問。
京急の駅名にもなっているが、羽田空港の大鳥居の祟りが有名。
 
 
【豆知識】
終戦直後、空港を接収したGHQは、大規模な拡張工事に着手。
穴守稲荷神社を強制退去させ、鳥居も何度か取り壊そうとしたが、そのたびに作業事故が起きたり、工事関係者が病気になったりして、「お稲荷様の祟り」と恐れられ、残されることになった。
 
結局、1999年に空港の沖合展開計画に伴い、すぐ近くに新滑走路建設のために鳥居は移転。
その際、作業事故等の「祟り」は起こらなかった。
 

 
なお、穴守稲荷神社の由来は以下の通り。
 
文化元年(1804年)の新田開墾の折り、海が荒れて沿岸の堤防が決壊。
村々は海水による甚大な被害を受け、村民が堤防の上に祠を勧請し、
稲荷大神を祀ると、海が静まって大きな実りをもたらしたのが起こり。
 
 
また、神砂(あなもりの砂)の由来は以下の通り。
 
老人が漁に出て魚を釣り上げて魚篭に入れたが、中を見ると湿った砂があるだけだった。
翌日も翌々日も大漁となるも、篭をみるとやはり湿った砂があるばかりであった。
老人はいぶかしく思い、村人たちにこのことを話すと、
村人たちはこれを狐の仕業として稲荷神社を取り囲み、一匹の狐を捕まえる。
しかし、老人は狐を許してそれを解き放った。
それ以降、老人が漁にでると必ず大漁となり、
篭には多くの魚とわずかばかりの湿った砂が残るようになった。
老人が砂を持ち帰って家の庭にまいたところ、
客が途切れることなく訪れるようになり、老人は富を得た。
 
荏原神社の由来も、品川沖の海面から牛頭天王の面が発見されたのが起こりである。
この付近には富をもたらす「何か」があったのであろう。