2013年1月28日月曜日

烏森神社

【ご祭神】
倉稲魂命
天鈿女命
瓊々杵尊
 
 
【豆知識】
神社の創建は古い。
 
俵藤太が平将門の乱を平定しようと、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、
白狐がやってきて白羽の矢を与えた。
その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、
俵藤太はお礼に一社を勧請しようとしたところ、
夢に白狐が現れて、神烏がいるところが霊地だと告げた。
そこで、桜田村の森まで来たところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、
そこに社頭を造営したのが由来。


JR新橋駅「烏森」口は、この烏森神社から取っている。


 
【訪問メモ】
ニュー新橋ビルの裏側の小料理屋や居酒屋が連なる一角にひっそりと遷座。
 
烏森神社は、拝殿、鳥居とも、独特の形状をしているのが印象的。
いただいた由緒書きにある江戸時代の絵では、普通の明神鳥居が描かれているので、最近のデザインなのであろう。
 
 
また、こちらの神社でご朱印をいただくと、無病息災の御守と幸飴もいただける。
 



2013年1月26日土曜日

赤羽八幡神社

【ご祭神】
品陀和気命 (応神天皇)
帯中津日子命 (仲哀天皇)
息長帯比売命 (神功皇后)
 
 
【豆知識】
平安初期、朝廷より奥州鎮圧を命ぜられた坂上田村麿呂が、
この地に陣を張り、八幡三神を勧請して武運長久を祈願したことにより創建されたと伝えられる。
なかなか古い神社である。
 
 
【訪問メモ】
この神社を有名にしているのは、社務所の下を新幹線が走っているため。
境内南側では、真横のトンネルに新幹線が飛び込んでいく様子が見られ、子鉄、ママ鉄の姿もチラホラ。

 
また、最近では、お守りのデザインが関ジャニ∞の「∞」に似ているとかで、若い女性の参拝者も多いようである。
 
関ジャニ∞とお守り

 
境内にはキツネの群。確かに末社に稲荷神社があるにはあるが…
 
撫で牛と金精石
 
 





2013年1月17日木曜日

花園神社

【ご祭神】
倉稲魂命
日本武尊
受持神
 
 
【訪問メモ】
夕方6時に訪問。
この神社の社務所は夜8時まで営業している。
さすが花街の鎮守。
 
 
ただし、「花園」の由来は、近隣の歓楽街・歌舞伎町とは関係ない。
この地が多くの花が咲き乱れていた花園の跡であったことから「花園稲荷神社」と呼ばれるようになったとのこと。
 
 
境内には雪が残っており、なかなかの風情であった。
 
 
内田康夫の浅見光彦シリーズの「鳥取雛送り殺人事件」では、
花園神社の境内で取材中の浅見光彦が男性の死体を発見するところから物語が始まる。



2013年1月10日木曜日

愛宕神社

 

【ご祭神】
火産霊命(ほむすびのみこと)
 
 
【訪問メモ】
「出世の石段」で有名。
 
「この石段を登って参拝すると出世できる」といわれていることから
多くの人(特にサラリーマン)が訪れる人気スポットになっている。
 
 
 
「出世の階段」の由来は、こちらの「愛宕神社トリビア」を参照。
 

愛宕神社トリビア | 愛宕神社


家光なら如何にも言いそうなことである。
 

さて、86段の階段を登り終えて、振り向くと恐ろしい程の急斜面。
この階段を馬に乗って駆け下りた曲垣平九郎の馬術は相当なもの!
 
 
 
拝殿左手の梅の木が曲垣平九郎が献上した梅の木だそうです。
 


2013年1月6日日曜日

乃木神社

【ご祭神】
乃木希典将軍
乃木静子夫人
 
 
【訪問メモ】
明治時代に活躍した軍人であり、明治天皇の崩御の際に殉死した乃木希典を祀った神社。
乃木夫妻が自刃した邸宅の隣地に所在。
 


 
ちなみに、乃木坂46の成人式も乃木神社で行われた。
 
 
ナタリー - 乃木坂46メンバーが成人式「大人の色気でがんばりたい」


東郷神社

【ご祭神】
東郷平八郎命
 

【訪問メモ】
今更言うまでもないが、バルチック艦隊を破った東郷平八郎海軍大将を祀った神社である。
 


 
 
もっとも本人は軍神として祀られるのに拒否反応を示していたようだが、
陸軍の乃木神社に対抗して創建されたとのこと。

境内は、近隣(竹下通り)の喧騒が嘘のような静けさ。
 
境内の至るところで見られる「Z旗」は、
日本海海戦時、連合艦隊旗艦「三笠」のマストに
 
「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」
 
という意味を持たせて掲揚したことに由来する。
 
 

 
 
社務所には、所縁の品も飾られている。
 
この書面は、軍の辞令で
 
「東郷平八郎、イギリス海軍に派遣するから、修行して来い。兵部省」と書いてある。
 

ちなみに、この神社のご利益は当然「勝ち運」である。
 

 

明治神宮

【ご祭神】
明治天皇
昭憲皇太后(明治天皇の皇后)
 

【訪問メモ】
近所にありながら、これまで原宿・渋谷方面にはあまり縁がなかったため、約20年振りの訪問。
 
 
明治神宮の「宮」の字には、真ん中の「ノ」が無いのが正しい。
(このblogではWebの制約で表現できないので「神宮」と表記)
 

なぜ「ノ」が無いのかは明治神宮公式サイトのQ&Aをご覧ください。
(ちなみに、鹿島神宮のご朱印も宮にノがありません)
 
明治神宮-Q&A-

 

原宿駅方向の第一鳥居からスタート。
しばらく北上すると、参道が左手に折れ、大きな鳥居が現れる。
 
 
 
この大鳥居、日本最大の木製の明神鳥居とのこと。
この大鳥居に関するエピソードは明治神宮公式サイトのQ&Aが面白い。
(明治神宮の公式サイトは、よく出来ていて非常に面白い)

明治神宮-Q&A-

 

大鳥居をくぐって、参道を進み、右手に折れると、第三鳥居と南神門が現れる。
南神門は土俵入り奉納で横綱が入場してくる門として、テレビでよく見かける。
 
 
境内は、新年になって6日も経過したというのに、多くの参拝客で賑わっていた。
 
 


2013年1月3日木曜日

鹿島神宮

【ご祭神】
武甕槌大神
 
 
【訪問メモ】
 
常陸国一宮。
 
 
 
祭神の武甕槌大神(たけみかずち。建御雷神とも。)は、古事記で大国主命に国譲りを迫り、大国主命の子の建御名方神と力くらべを行い、諏訪の国まで追い詰めた神。
 
武甕槌大神は、中臣氏が常陸国・下総国出身であったという関係で、中臣氏出身の藤原氏にも篤く信仰され、経津主神とともに春日大社に勧請され、藤原氏の氏神(春日神)の1柱として祀られている。
 
春日大社の鹿は有名だが、鹿島神宮にも鹿がいる。
 
 
 
 
また、武甕槌大神は鹿島アントラーズのサポーターのスカジャンの背中にも描かれている。
 
 
 
楼門は水戸藩初代藩主・徳川頼房の奉納。
 
 
奥宮に続く、長い奥参道は樹々が鬱蒼としており、神聖な空気が流れている。
 
奥宮は本殿として奉納したものを引き移したもの。
 
 
奥宮のさらに奥には、要石がある。
 
香取神宮の項でも記載したが、かつて、徳川光圀が要石の周りを掘らせたが、7日7晩掘り続けたが、底には達しなかったという逸話が残されている。
 
 
 
また、境内にある宝物館では、国宝の直刀を拝見することができる。
重さ、長さが同じレプリカに触ることができるが、ずっしりとしてなかなかの重量。
 

香取神宮

【ご祭神】
経津主大神
 
 
【訪問メモ】
 
下総一宮。訪問時は正月三ヶ日ということで、かなりの参拝者で賑わっていた。
 
 
祭神の経津主大神は日本書紀で葦原中国平定では武甕槌神(たけみかずち)とともに出雲へ天降り、大国主命と国譲りの交渉をした神である。
(ただし、古事記には登場しない)
 
古代、この辺りは香取海と呼ばれ、霞ヶ浦・印旛沼・手賀沼をひと続きにした広大な規模の内海だったらしく、海上交通の要であったらしい。
 
訪問時には、拝殿・本殿は工事中で全貌を拝むことができなかったが、檜皮葺きの屋根が立派な拝殿であった。
 
 
 
ところで、この香取神宮には、地震を鎮めているとされる要石が埋まっている。
 
かつて、徳川光圀が要石の周りを掘らせたが、日が沈んで中断すると、朝までの間に埋まってしまった。そのようなことが2日続いた後、次は昼夜兼行で7日7晩掘り続けたが、底には達しなかったという逸話が残されている。
 
要石は香取海の対岸にある鹿島神宮にもあり、対となっている。