ご祭神 |
応神天皇
伊弉諾尊
伊弉冉尊
豆知識 |
康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。
また、永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。
1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。
また、この神社には、怪し気なエピソードが豊富なので、以下に紹介しておく。
■招き猫発祥の地
今戸神社は、近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげている。
伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという。
これが招き猫の発祥ともいわれているが当時の記録では具体的に招き猫と今戸神社との結びつきを示すものは確認されていない。
ただし、焼物として使うこの土地の粘土が良質のものだったことから、今戸焼が栄えたのは本当。
■沖田総司の終焉の地
当神社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地ともいわれている。
これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきているが、沖田総司が亡くなった地は千駄ヶ谷である。
■縁結びの神
戦前合祀された白山神社の祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにゆかりがあるとアピールしている。
訪問メモ |
縁結びのパワースポットとして、若い女性の間で流行っているらしく、参拝者の長蛇の列ができていた。
私見ではあるが、招き猫といい、沖田総司といい、縁結びといい、流行りに敏感で商売熱心な神社という印象。
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