2012年11月22日木曜日
厳島神社
【ご祭神】
宗像三女神
・市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
・田心姫命 (たごりひめのみこと)
・湍津姫命 (たぎつひめのみこと)
【豆知識】
安芸国一宮。ユネスコ世界文化遺産。日本三景の一つ。
社伝では、推古天皇元年(593年)、
この地方の有力豪族・佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、
勅許を得て社殿を創建したのに始まるとされる。
現在と同程度の大規模な社殿になったのは、平安末期、平清盛が安芸守になってから。
平家一門の隆盛とともに当社も栄えて平家の氏神となった。
当時の社殿は火事で焼失し、現在残る社殿は仁治年間(1240年-1243年)以降に造営されたもの。
境内の沖合に立つ大鳥居は圧巻。
現在のものは平清盛の造営時から8代目、明治時代に作られたものである。
この鳥居、柱が海中に埋められているわけではなく、
花崗岩と主柱1本につき約100本打った基盤の上に立っている。
また、屋根の下の内部は空洞で多くの経石が納められており、総重量は5tにも及ぶ。
この重量があることで大鳥居の自重が浮力に勝ち、自立することが可能となっている。
現代人の感覚からすると、
鳥居に経石、平家納経と、神道・仏教ごちゃ混ぜであるが、
明治時代以前は神仏習合が当たり前であり、
厳島神社もそれまでは隣にある大願寺が管理していた。
【訪問メモ】
訪問時は丁度干潮の時刻で、鳥居の下まで歩いて行くことができた。
真下から見る大鳥居は正に圧巻。その大きさに圧倒される。
朱塗りの神殿は美しく、どれだけいても飽きがこない。
建築技術も素晴らしいが、海上に神殿を作るという発想が何より素晴らしい。
隣の丘に立つ千畳閣は豊臣秀吉の造営。
豊臣秀吉は毛利家に対し、中国大返しの恩があるので、
かなり気を使っていたことを伺わせる。
厳島神社は、満潮時、干潮時で、見せる表情が全く異なるため、
弥山を観光したりして時間を調整し、両方見ることをお勧めする。
弥山は伊藤博文が「厳島の真価は弥山からの眺望に有り」と絶賛したと言われる絶景である。
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