2012年10月16日火曜日

神田明神(神田神社)


 


【ご祭神】
大己貴命
少彦名命
平将門命

 
【豆知識】
江戸総鎮守。東京十社の一つ。

 

 
社伝によると、創建は天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(今の大手町付近)に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのが始まるとされる。
 
神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
 
承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られたが、天変地異が頻発したため、この神社の相殿神として祀った。
 
江戸時代に現在地へ遷座。
以上のように、元々は将門は本殿に祀られていたが、
明治7年、明治天皇が行幸するにあたり、
 
「朝敵である平将門が祀られているのはあるまじき」
 
ということで、平将門が祭神から外され、摂社に遷されるとともに、少彦名命が勧請される。
 
将門が本社祭神に復帰したのは昭和59年というから、つい最近の話である。
本社復帰とはいえ、三の宮扱いなので、完全に元に戻ったというわけではない。
 
あまりぞんざいな扱いをすると、それこそ将門に祟られますよ。
 

 

また、神田明神下の長屋に銭形平次が住んでいたという話も有名である。
(念のため、銭形平次は小説の人物であり、実在はしません)
 
境内には銭形平次の碑もあるが、発起人がフジテレビというのが笑える。
 

 
 



 



 



 



 

0 件のコメント:

コメントを投稿