2012年10月28日日曜日

中山神社(中氷川神社)

 
 
【ご祭神】
大己貴命(おおなむちのみこと)
 
 

【豆知識】
創建は崇神天皇2年(紀元前95年)。
氷川女體神社と同年代の創建である。
 
氷川神社の記事でも書いたが、中山神社は氷川神社と氷川女體神社の直線上にあり、
見沼を挟んでちょうど中間に位置する。


太陽は、夏至には西北西の氷川神社に沈み、
冬至には東南東の氷川女體神社から昇る稲作で重要な暦を把握する配置となっている。
 
氷川神社、氷川女體神社、中山神社の三社で一体の氷川神社を形成しており、
三社の祭神も
  • 氷川神社:須佐之男命(父)
  • 氷川女體神社:奇稲田姫(母)
  • 中山神社:大己貴命(子)

と親子関係である。

 
高度な測量技術と暦に関する知識を有した集団が流入し、見沼周辺を開拓したことを想像させる。

 
【訪問メモ】
訪問日は 雨も降っていたため、参拝者は一人もいないのでは?と思っていたが、
私以外にもご朱印目的の参拝者が1組。
 
地味な神社だが、なかなか人気があるようだ。
 

2012年10月16日火曜日

富岡八幡宮

 
 
【ご祭神】
品陀和気命(ほんだわけのみこと、応神天皇の諡号)
 
 
【訪問メモ】
東京十社の一つ。
創建は1627年と新しい。
 
江戸開府初期に行なわれた深川の干拓が難航したため、
波除八幡の異名をとる富岡八幡宮(横浜市)を分霊したとのこと。
 
 
 
境内には、日本最大の神輿、横綱力士碑、伊能忠敬像など、見所も多い。

 

神田明神(神田神社)


 


【ご祭神】
大己貴命
少彦名命
平将門命

 
【豆知識】
江戸総鎮守。東京十社の一つ。

 

 
社伝によると、創建は天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村(今の大手町付近)に入植した出雲系の氏族が、大己貴命を祖神として祀ったのが始まるとされる。
 
神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)があった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。
 
承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて当社の近くに葬られたが、天変地異が頻発したため、この神社の相殿神として祀った。
 
江戸時代に現在地へ遷座。
以上のように、元々は将門は本殿に祀られていたが、
明治7年、明治天皇が行幸するにあたり、
 
「朝敵である平将門が祀られているのはあるまじき」
 
ということで、平将門が祭神から外され、摂社に遷されるとともに、少彦名命が勧請される。
 
将門が本社祭神に復帰したのは昭和59年というから、つい最近の話である。
本社復帰とはいえ、三の宮扱いなので、完全に元に戻ったというわけではない。
 
あまりぞんざいな扱いをすると、それこそ将門に祟られますよ。
 

 

また、神田明神下の長屋に銭形平次が住んでいたという話も有名である。
(念のため、銭形平次は小説の人物であり、実在はしません)
 
境内には銭形平次の碑もあるが、発起人がフジテレビというのが笑える。